今日のじもティーノは、番組のオープニングで愛さんが新聞で発見した、那覇市の地元再発見記事から。

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- 那覇市に、ペリー提督由来の街があった?!
- ウチナー盆とシーミーを支え続けた「ペリーもち屋」
- 平成最後の日、94歳の豊富
30-40代の若い世代にはあまり知られていない?
那覇市に存在する、ペリー提督由来の街・・・。
それは、現在の那覇市山下町。
この山下町が、沖縄がまだアメリカ占領下にいたころ
「ペリー区」と名付けられたのだそう。
1) 那覇市に、ペリー提督由来の街があった?!
由来は、アメリカ海軍のマシュー・ペリー提督(黒船のペリーさん)。
琉球王国時代に首里城を訪れ、琉米修好条約を結んだという背景があるけど、
この山下町とは直接因果関係はないらしい。
でも、同時に出ていた「山下町」という名前の案は、違う将軍の名前を連想させるから却下され、
代わりに上がったのが、ゆかりのあるペリーさんだったとか。
でもその後、「それもどうなの」と物議され、山下町に落ち着いたそうです。
そんな時代があった名残りで、この山下町には、「ペリー」と名前がつくお店や病院がある(あった)ようです。
2) ウチナー盆とシーミーを支え続けた「ペリーもち屋」
そんな元ペリー区で、1955年に創業したのが
「ペリーもち屋」
(奥武山公園近く、、見たことある方いますよね・・)
店主の、照屋トシ子さん94歳は、64年前の1955年に今は亡きご主人忠男さんともち屋を開きました。
メニューは、トシ子さんの手作りの、あんこを使った餅をはじめ、価格帯は1餅、50円以下のラインナップ。
お盆やシーミーの時期は、やはりこのお店が頼り。トシ子さんも繁忙期は午前2時に起きて作るという働き者です。
3)平成最後の日、94歳の豊富
さて、このトシ子さん、新聞の見出しには
「たくさん働いた」
の文字が光っていました。
ここからは、その記事を紹介する愛さん魅川さんの再現シーンをどうぞ。。。。
愛)94歳、照屋トシ子さんのお店を閉める理由・・・
「私はねー、令和になったら思いっきり遊びたいのよ」
と語ったそうです。
魅川)そうよそうよ!そうしてそうして
愛)お餅の値段が、1個50円以下・・・。
魅川)え?このご時世に?
愛)私、このペリーもち屋にかよっている、DJモーリーさんに裏情報を聞いたんですよ。モーリーさんが「これ、儲けあるの?」って聞いたら、トシ子さん「儲けないよー、趣味よー趣味」って。すごくないですか?趣味で64年、50円以下の金額で、、、できないよーっ!
魅川)午前2時を趣味で…?
愛)店を閉じたあとは、家族を訪ねて県外に遊びに行きたいと話すトシ子さんですが、、、これまで風邪をひいたことがないそうです・・・
魅川)・・・もちパワー?
愛)元気の秘訣を訪ねたところ、、、
「私はね、もちはあんまり食べない」
「自分で好きな料理作ってたべるんだよー」
魅川)もちパワーじゃないのね。
働くことと、好きなものを食べることが元気の秘訣っていうことね。
飾らない、働き者のキャラ、いいわー。