歴史全体を見るときには、大河の流れを見るように歴史の原点から見た方がわかりやすいと言われます。最初、無人島だった琉球列島、また日本列島に人類が現れたのは、今から約四万年以上前の頃です。琉球列島にいた最も古い人は、山下町洞人(どうじん)と考えられます。那覇市山下町の民家の洞窟から発見された三万七千年前の八才の少女の人骨化石が、現在、一番古い沖縄人ということになっています。
復帰前の昭和三七年(1962)、私有地の庭にあった墓地の隣の洞窟から偶然、神事をしていたユタ(民間霊媒師)が発見しました。その後、平成十九年(2007)の東大の再調査により三万七千年前の人骨と認定され、日本最古の人骨化石となっています。
昭和四五年(1970)、一市民の大山盛保氏によって沖縄具志頭(ぐしちゃん)・港川で二万年前の旧石器人骨・港川人が発見され東大鈴木尚博士が調査の上、確認しました。当時の日本考古学会をゆるがすほどの一大ニュースとなりました。

中央奥が港川人発掘の高さ30mの石切場
続いて、平成二九年(2017)石垣島の空港建設地から二万七千年前の人骨が出土しています。全身骨格がみつかった人骨としては日本最古のものとされています。二万五千年前の宮古島のピンザアブ人、二万年前の港川人等々、不思議なことに、一万年以上前の人骨化石の九割は、琉球列島から発見されています。地中の人骨が溶ける本土の火山性の酸性土壌ではなく、珊瑚礁アルカリ性の沖縄の土壌が骨を溶かさずに化石にするのが、その理由です。
これらの発見は、近年、日本人の起源に迫るものとして東大、国立科学博物館の研究課題とされています。日本人の起源と言われる縄文人と、港川人はその特徴が非常によくにている。さらに、近隣のアジア諸国で発掘された後期旧石器時代の人骨の古い形質もあわせ持っている。アジア諸国から渡来した人々が、縄文人へと変化していったとの考え方にそうと、港川人こそ日本各地域に拡散した縄文人の祖先集団とのつながりを持つと考える可能性がある。

発掘洞窟・入り口
ある人類学者は、具体的に「港川人は、頭と顔の特徴が縄文人によく似ている。言ってみれば、縄文人の特徴をもっと強くして、原始的にしたのが港川人であり、頭と顔の特徴で見ると港川人がそのまま進歩して縄文人になったとしても不思議はない」と述べています。

左側・縄文人。右側・港川人の復元図
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亀島靖(かめしま・やすし)さん
1943年生まれ、那覇市出身、早稲田大学卒業。
歴史小説、歴史劇シナリオなど著作多数。
テレビやラジオのプロデューサーでも活躍。
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