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「うるま、レキオ、とは?」
2022.08.16

「ウチナー」「琉球」「沖縄」の他にも、「うるま」「レキオ」の名称があります。「うるま」とは、安土桃山時代「本能寺の変」(一五八二年)で織田信長を討った明智光秀に関係します。光秀に尊皇思想と、和歌の道を教えた連歌師、里村紹巴(さとむらじょうは)がいます。彼は、信長、秀吉、家康等の戦国武将達と親しく、光秀にも連歌を教授していました。

 連歌とは、短歌の上の句、下の句を交互に十数名で詠み合う歌会の様式です。里村は、平家物語に出てくる「おきなは」を、古語の「うる(砂)ま(島)」、すなわち、砂地の島と表現し、歌の世界での代名詞と決めました。以降、和歌に詠まれる際には「沖縄」を意味する言葉として定着し、逆に沖縄にも伝わります。沖縄の「砂川」姓は、「うるか」さんと呼ばれる時代もありました。現在、県内には「うるま」市も誕生しています。

 「レキオ」とは、日本が戦国時代のまっただ中、十五世紀から十六世紀のヨーロッパ東アジア進出時代に生まれた言葉です。中国で発明された羅針盤がヨーロッパに普及し、造船技術も向上しヨーロッパ各国の野心はアジア地域へと向かいます。海外交易の拡大、植民地の獲得、世界航路の開拓、キリスト教の布教などがヨーロッパ諸国のアジア進出の大きな目的でした。さらに、アジア進出のもう一つの目的がありました。それは、アジアでしか取れない「胡椒」です。当時のヨーロッパでは、コレラ、ペスト等、不死の病の特効薬として「胡椒」が珍重されていました。胡椒が生肉の腐敗を遅らせることが風評の原因と言われています。現在、八重山で胡椒は「ピパーチ」と呼ばれていますが、ペッパーが変化した言葉で、この時代の名残の一つと言われています。ヨーロッパ人は胡椒と同量の金で取引したと言われます。フィリピンの港に停泊していたポルトガル船の船長は、「ミズスマシ」のような小舟で湾内を動き回る集団を見て、「彼らは色も白いが何者だ?」と現地人に尋ねると次の様な返事が返ってきました。「彼らは、琉球人で以前からこの国に出入りしています」との答えに、船長は、「レキオ人」と発音した言葉が、「レキオ=琉球」と定着したのです。「ウチナー」以外の「琉球」「沖縄」「うるま」「レキオ」は、すべて異国人が提唱した名称と言えます。これらの交流の歴史が、日本史と違うと言われる独特の琉球史を形成したと言われています。

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