ヒラヒラヒラ、落ち葉は舞うようにして、川面に落ちた。受け取った川は、喜びにあふれて、笑った。笑いはいくつもの同心円を描いて、広がっていった。そんな様子を見つめていた人は詠んだ。
葉と出逢ふ 水の喜び 幾重にも
(浦添春夫)
落ち葉が川面に触れた瞬間に心を打たれた作者は、人の出会いもこのようなものであってほしいと、願いを込めた。
「出会いが幾重もの喜びをもたらしてくれますように」
作者は「自然から沢山のことを学んできた。自分にとって、自然はバイブルであり、仏典である。しかも活字ではなく、生命の言葉で刻まれたもの」という。
美しい旋律で知られる伊良部タオガニの歌詞(一部)は「ナツフユ カワラン ニノパノ ポスガマ、フモリ テイヤニヤーン ピテツ ボス ガマヨー、ウワトヨー バントマイ、ピテツ ボスノニヤーンド ツムノ カワリテイヤ、アラデン マーンヨー」である(大川恵良著、伊良部郷土史、一九七四年)。
意味は「夏冬変わらん ニノパボス(北極星)、くもりひとつない一つ星よ、あなたと私もあの星のように、変わることなく、くもりなく、生きていきましょうね」である。
夫婦の間にすきま風が吹いたかもしれない。星を見ていた片方が、あの星のようにありたいものと願った。だれも教えてくれなかったことを、一つ星が教えてくれた。
人は自然から学びながら、生きていくもの、今から三十年くらい前、新聞にある女学生の投書があった。「『家にいても面白くないし、学校も面白くない、死んだ方がいい、万座毛(沖縄島恩納村)から飛び込んでしまおう』と崖の上に立った。ところが崖に立って海を見ていると、その美しさに心を奪われてしまった。『世の中にはこんな美しいものがあったのか、死ぬなんてなんと馬鹿らしいことか』と帰っていった。」という内容であった。
海が彼女の命を救ってくれた。
川と葉の出会いを詠った人は、「万座毛の少女」と題して歌をつくった。「友に疲れ、人に疲れ、望み尽きた少女ひとり、さよなら友よ、さよなら人よ、別れを告げて崖に立つ、青い空、青い海、・・・万座毛の少女の今際の瞳、とけあった空と海、鮮やかに映す波と風の声の故か・・・少女の胸を射抜く光、こだまする光の渦、永久の命、少女は観た・・・」
作者は言う。「人は自然への接し方によって、生活態度が変わってくる」「自然は求める者の願いをかなえてくれる神秘の玉手箱である」と。
今後、科学技術は益々進み、狭くなっていく世界で、人は自然から何を学びとっていくのだろうか。人と自然の哲学関係、このことが、将来における人類の生死を決すると思われる。