e-no

  • 会社概要
  • 事業部
  • ヒストリー
  • (NEW)e-no小誌 いなぐ・いきー
  • ショッピング
e-no

enjoy your health

Menu
すっきりしたイーノ hotしたイーノ ありのままでイーノ e-noコンセプト e-no小誌 いなぐ・いきー ショッピング 会社案内
Jimmy’s(ジミー)のケーキ
2022.12.21

家族の思いはふっくら大きく

ジングルベルジングルベル鈴がなる♪沖縄のクリスマスにはどのようなイメージをおもちですか?

家族でチキンやオードブルを囲んで、クリスマスケーキやツリーの下に飾られているプレゼント、子供たちにとって年に一度のハッピーな行事です。本土のようにホワイトクリスマスとはいきませんが、子供の頃は、1ヶ月も前から奥にしまっているクリスマスツリーを引っ張りだして、2階の窓から見える位置に立てて、母と一緒に飾りつけをするのが恒例でした。真っ赤なリボンにシンプルなライトを散りばめて当日まで暖かなクリスマスを楽しみます。

一番の楽しみはプレゼントとケーキ。なかでも人気なのが、沖縄の方ならご存知「Jimmy’s」(ジミー)のケーキなのです。

 

ジミーのケーキと思い出

赤レンガの建物にカラフルな外国からの輸入品が所狭しと棚に並ぶ。ハワイアンなケーキやクッキー、パン、チキンやワインまで、クリスマスの美味しい食べ物、飲み物が全部揃ってるんです。

私の記憶に残るジミーのケーキは、小学三年生の誕生日に祖父が奮発したタテ30cm、ヨコ50cm程の四角い大きなケーキです。チェリーとバタークリームでお花がデコレーションされたアメリカンなチョコケーキ。友達7、8人を呼んでプレゼントを開けながら特大ケーキを食べました。車で1時間以上かかるところに住んでいた祖父にとって嬉しかったのかなと今になって思います。「特注ケーキに贈る思いを込めて、楽しい、驚き」というジミーのキーワードに久しぶりに出会い、子供のころの記憶が鮮明に思い出されました。30年の時を経て祖父の思い出が蘇りました。

 

沖縄のみんなに喜ばれる思い

創業者の稲嶺盛保さんは「アメリカの豊かな食文化を沖縄の人たちに届けたい」という思いから始めました。「ジミー」とは米軍基地内で働いていた時代の稲嶺さんのニックネーム。

クッキーマシンや人気のパウンドケーキはハワイから、ソーセージは本場のドイツから専門の方を招いたり、イタリアからもクリスマスのお菓子の作り方を指導してもらったり、アメリカ以外にも世界のおいしさを集めました。沖縄で世界の美味しい、珍しいものに出会える場所。本土の親戚へのお土産に利用することも多いです。

うちなーんちゅの心にジミー

「ケーキは毎年ジミーよ」「誕生日と言ったらジミー」「娘や主人がジミーのジャーマンケーキが大好きで、あのココナッツのジャリジャリする食感が好きみたい」。イーノの60・70代のお客様担当に聞くと次々とジミーの大合唱でした。

大家族の多い沖縄ではホールケーキが大人気。

小さなケーキだとすぐになくなるし、種類もアップルパイやジャーマンケーキ、チーズケーキと豊富。「今日はあなたの好きなものを」と子どもたちに選んであげられるのが嬉しかったそうです。

沖縄の中でもユニークなお菓子屋さん。今年のクリスマスはジミーの小さなチョコケーキで家族の甘い思いを味わいたいです。ハッピーメリークリスマス♪

 

 

この記事を書いた人

 

 

 

 

 

中地香苗(なかち・かなえ)

ご感想は、kanae@e-no.comまで!

ありのままの沖縄を感じる逸品、e-no shopはこちら

のまんじゅう
2022.11.17

あんこの気持ちは大きくたっぷり

大人の手のひらサイズで特大の白いに、これまた大きく赤い「の」の文字。子どもの頃、行事ごとに祖母の家にいくと仏壇に供えられているお菓子の一つで、見た目、大きさ含めてインパクトの強いお菓子でした。

饅頭といえば、片手にちょこんと収まる可愛らしいイメージですが、この「のまんじゅう」は、ずっしり重みもあって、あんこがびっしり詰まっています。「商売はケチケチしてはいけない、中のあんこも絶対減らしてはいけない」とは、創業者のハルさん(1924年〜2014年)が家族に残した言葉です。

 

 

伝統菓子といっても、スーパーで普通に売っているものも多く「みなさん、おやつに選んでいきます」と店員さん。チョコやケーキと同格だ。長く親しまれている秘密を知りたくなって、那覇市首里にある創業100年を超える老舗「ぎぼまんじゅう」を訪ねてみました。

 

携帯の地図をみながらたどり着いたお店。車を止めて降りた瞬間、ワーっとただよってきた(サンニン)の香り、「あ〜いい匂い」と深呼吸してしまうほど、お店の外まで充満していたのです。「のまんじゅう」を包む月桃の葉っぱは、殺菌作用が高く、昔から沖縄ではお餅を包んだりして、保存料を使わず自然の効果を活用していました。

 

お店の壁には有名人のサインがたくさん。お店を見渡しながら注文。

 

「『の』の字はつけます?」と店員さん。「はい、お願いします」とは言ったものの、事前情報がなかったら戸惑っていたかも。何かの本で読んだ「『の』を入れるか入れないかは、選べるらしい」。本当にそうなのかドキドキしながら店員さんに「3つください」と注文したところ、第一声が「『の』の字はつけます?」でした。

 

調べてみると、「のまんじゅう」は、お祝い事全般には朱色で「の」が書かれたものが使われ、真っ白のまんじゅうは、法事用として利用されていたのです。てっきり、「のまんじゅう」というくらいだから「の」無しの選択肢があるなんて考えてもみませんでした。ちょっと驚いていた数秒の間に、奥へ入って行った店員さんがすぐにまんじゅうの包みを持って現れました。

 

「えっ?今書いていただいたんですか?」

 

「はい」

 

あまりの早さに戸惑いましたが、家に戻って包み紙を開けてみると、真っ白なまんじゅうに溢れんばかりの大きな「の」の字が3つ並んでいました。出来立てで温かいまんじゅうに、温かみのある手書きの「の」の字。色の濃さも微妙に違っていて、つい眺めてしまうくらいなんだか幸せな気分になりました。

 

 

ちなみに、気になる「の」の字は何のことだろうと聞いてみたところ、「熨斗」の「の」でした。熨斗というと、朱色の「の」に思いを込めて祝いごと全般に使われて広まったようです。

 

贈り物といえば、きちんとした包装に熨斗というマナーも大切ですが、相手への気持ちを簡潔に、時には大胆に表現することを「のまんじゅう」から教えてもらった気がします。沖縄の伝統菓子には、気持ちを込める秘訣が詰まっていました。

 

この記事を書いた人

 

 

 

 

 

中地香苗(なかち・かなえ)

ご感想は、kanae@e-no.comまで!

ありのままの沖縄を感じる逸品、e-no shopはこちら

コーグヮーシ
2022.10.17

極彩色に込めた健康・長寿への祈り

 

子どもの頃、お盆に祖父母の家に行くと、仏壇の両サイドに果物と並んで供えられているお菓子たち。崩れ落ちないかと心配なほど山のように盛られている。祖先を送り出した後、ソワソワ楽しみにしていた従兄弟たちとのお菓子選び。今風のレモンケーキやお饅頭など甘く美味しそうなお菓子はサッとなくなり、なぜか「コーグヮーシ」が残ってしまうのです。

 

大きさは、レモンケーキと同じくらいの物から大学ノートくらい大きなものまであります。材料は、寒梅粉といってもち米を蒸して乾燥させた粉に砂糖や水、または水あめ、それをこねて鶴や亀、松などの木型で型抜きをします。食感は、落雁よりは荒めで砂糖菓子のイメージが強いのですが、味は甘すぎず、フワッとゆっくり溶けていくような柔らかさ。

 

蛍光ピンクに黄色、緑と一度見たら忘れられないほど派手に彩られている。縁起の良い鶴・亀や仏様の蓮の花など、かなりリアルな形の伝統菓子。糕菓子と表記され、琉球王朝時代から伝わる落雁の一種で、お祝いや法事などでよく使われます。やや上品なしつらいの落雁と違って、「コーグヮーシ」はストレートに色や形に意味を託しています。調べてみると、王朝文献には、扇子糕、牡丹糕、鶴寿糕、亀寿糕、松糕、と10種類以上の名前が記載されているようで、味より絵柄に意味が込められていたようです。

 

王朝文献には、絵柄によって、松糕は白地に根や枝は薄赤く、葉は青色に、梅糕は白地に花は紅色に作るなどきめ細かく指示がされていました。鶴・亀には躍動感を、桃などには立体感があって、色や形に強いこだわりが見られます。その豊かさは、願いを色や形に託した曼陀羅の世界に触れた気さえしました。

 

今でもお正月やトゥシビー(生まれ年のお祝い)などには、長寿を意味する鶴や亀の絵柄が使われます。私たちには派手に見えるけれど、昔の人たちの世界観を色あせることなく今に伝えているのだと感じました。「コーグヮーシ」は子孫繁栄、極楽浄土など祈りや願いを込めて作られたものだったのです。「人間は自然界の恵みを受けて肉体が成長していくため、亡くなったら受けたものをすべてこの地球上で返していかなければならない」と、コーグヮーシ以外にも、大地の恵みを表したもも饅頭や太陽神や月を表すお菓子など、沖縄では、自然界の形を表したものが盛菓子として供えられているそうです。

 

「沖縄とんでもない物語」を担当して、今までは見た目や味で選んでいたけれど、沖縄の伝統菓子を手にとる度に一つ一つどんな意味が込められているんだろうと思うことが増えました。今では沖縄の伝統菓子を味わう楽しみがどんどん広がってきています。

 

 

この記事を書いた人

 

 

 

 

 

中地香苗(なかち・かなえ)

ご感想は、kanae@e-no.comまで!

ありのままの沖縄を感じる逸品、e-no shopはこちら

フチャギ
2022.09.16

十五夜の月と黒いポツポツのお餅

子供の頃に、初めてフチャギを見た時は、「ギョッ…」と衝撃でした。

 

まんまるとかわいい餅とはだいぶ違って、フチャギは白餅の周りに黒い豆がポツポツポツとくっついています。お餅が大好きな私ですが、フチャギだけは試してみるまでに少しだけ時間がかかりました。幼かった私はまだ小豆の美味しさがわからず、「甘くも辛くもしょっぱくもなく、びっくりするほど味がしない…」というのが正直な感想でした。

 

フチャギは、旧暦の八月十五日に神様や仏様にお供えする餅菓子です。形は細長いエクレアに似て、ひと回り小さめ。おはぎは、小豆に砂糖を加えて炊いた餡を使うのに対し、フチャギは茹でた小豆を粒のまま使い、餅にも甘みを加えないため味は大きく異なります。軽い塩味の地域もあります。時代でしょうか、黒糖を加えた甘いフチャギも登場しています。

 

中秋の名月がのぼるジューグヤー(十五夜)には、その年の豊穣と子孫繁栄を願って供えました。仏壇や火の神(ヒヌカン:台所で火を司る神様)にフチャギを供え、祈るのは母たち女性の役割でした。ちょうど小豆の収穫時期、年に一度のタイミングです。

 

今でこそフチャギといえば楕円形ですが、以前は十五夜に作るからか、丸型だったようです。また、名前の由来も気になるところ。那覇市の市場本通りで60年お餅屋さんをしている「やまや」の兼島久子さんに伺うと、島の言葉でいっぱいになる、溢れるほどの豊作を「フチャーギン」と言うそうで、「フカギ」と呼ぶところも。また、豆の赤い色は厄を払う意味もあり、邪気を遠ざける力をもつ色と考えられていたようです。

 

年に一度、食に祈りや思いを込めて作られていた供え菓子。餅の白は月を、小豆は星を表しているとも言われているようで、想像すると真っ暗な空に映える月の光、その周りにも星がキラキラしているのかな?

 

「今日は売り切れましたねー」と、兼島さん。なんと、昔は年に一度のフチャギも今では地域の人たちの朝食やおやつにもなっていました。「夏場食欲がない時には、食べやすいみたいで、1個お茶碗2杯のお米の量が使われているから力もつきますし、甘くもないからご飯の代わりに食べている方も多いですよ」。一年に一度の祈りの場から、今では私たちの暮らしの中にある「フチャギ」です。

 

「これがあるんですけど」と持ってきていただいたのが、餅の年中行事カレンダー。なんと季節ごとの伝統行事とお餅の種類がびっしりと書かれていました。

 

年に26の行事と17種もの餅。フチャギはその一つです。餅を工夫しつつ、たくさんの祈りを込めてきたことを知りました。今年の十五夜は9月10日(土)、フチャギに思いを込めて満月の夜を楽しみます。

 

この記事を書いた人

 

 

 

 

 

中地香苗(なかち・かなえ)

ご感想は、kanae@e-no.comまで!

ありのままの沖縄を感じる逸品、e-no shopはこちら

塩せんべい
2022.08.16

塩味は部活帰りの青春の思い出

 

8月の沖縄は、コロナ禍にもかかわらず観光客や修学旅行生の姿が増えています。彼らが訪れる観光土産店に並んだのは人気の沖縄菓子。驚いたのは「塩せんべい」が綺麗に包装されて並んでいたことです。

 

買い食いの思い出は「塩せんべい」

それは、私が中学時代にとてもお世話になったせんべいなのです。

 

ソフトテニスの部活帰りにマチヤグヮー(駄菓子屋)に立寄ると、必ずと言っていいほど買っていたお菓子です。私の中で「塩せんべい」は、駄菓子界の王様でした。ガムやチョコレート、クッキーなど小ちゃいお菓子が多い中、丸くてドシッと大きいのです。

 

お米ではなく小麦粉を使用し、直径約10cmで厚さも約1cmもあり、やや粗めの塩がまぶされています。値段は10円。コスパも良く、私の空いたお腹も心も満たしてくれたのです。それに、試合に勝ったり嬉しい事があった時には、隣に並んだチョコレートクリームのパウチも加えて合計20円。塩せんべいとチョコの甘ジョッパイ味が私のちょっとした贅沢でした。ひと抱えほどの大きな透明容器に、塩せんべいは十数枚入っていました。お店に入るとオレンジの蓋を自分で開けて、手づかみで1枚取り出し、お店の奥にいるおばさんに10円を払うのです。塩のしっかりついたものを選んだのは、数時間太陽の下で部活をした後だったからかもしれません。部活仲間との帰り道の楽しみの一つでした。

 

昔は子ども向けの甘いせんべいだった!?

有名な「丸吉塩せんべい」のお店にお話しを伺いに行ってみました。メニューに塩せんべいを加えたカフェも併設、あのマチヤグヮーの世界とはガラリと変わっていてとても驚きました。

 

代表の新田民子さんのお話しによると、砂糖と食紅を使った甘い味のせんべいを子どもたちは好んでいた。ある菓子職人の方が、子どもから大人までが欲しがる味として「塩」を考えたと言う。昭和30年代には大人気となり、子どもの頃に塩せんべいが売り切れの時には、届くのを「まちかんてぃ(まだかまだかと待っていた)」していたと言います。小遣いの1セント(沖縄は米ドル時代でした)では足りない子には、店のおばさんがハサミで半分にして渡してくれたそうです。

 

作り方にも工夫が。塩が落ちないように、食用油を塗った上に塩をまぶす。形も、四角だと機械で回転する時に角が削られてしまう心配もあって「現在の丸い形がベスト」だと説明してくれました。

 

煎餅といえば米を使った醤油ベースが全国的に主流ですが、沖縄は小麦粉に塩。「暑い沖縄だから熱中症予防にもいい。沖縄の気候風土にあった商品だったから今でも変わらずロングセラーになっています。」

 

近くのスーパーには中学時代からの変わらない塩せんべいが6枚組で売られています。パリっとした米の煎餅もいいですが、ドシっとした食べ応えと塩分補給もできるので、夏の小腹満たしにはおすすめです。時には「塩せんべい」も召し上がってみませんか?

 

 

この記事を書いた人

 

 

 

 

 

中地香苗(なかち・かなえ)

ご感想は、kanae@e-no.comまで!

ありのままの沖縄を感じる逸品、e-no shopはこちら

沖縄ぜんざい・あまがし
2022.08.08

甘い豆と白玉に氷がコラボ

ジリジリと太陽の日差しが容赦なく襲って、もう夏本番。そろそろ食べたくなるのが「ぜんざい」。沖縄のぜんざいは、いわば沖縄版かき氷で夏の定番。あの温かなぜんざいとはまるっきり季節を異にするのです。 ぜんざいの上に真っ白でフワフワに削られた氷が山のように盛られているのが「沖縄ぜんざい」の特徴。中学校の近くにあるかき氷屋の不動のメニュー、土曜の部活の後は皆で集合なんてことも。子供から大人まで楽しめる夏のおやつなんです。

沖縄の冷やしぜんざい 見た目は、高さ15cm程の氷の山。氷のけずり具合でも ぜんざいの味が変わる。沖縄のそば屋や食堂で食べることができ、メニューには「ぜんざい」と書かれている。

老舗のぜんざい屋でこの夏、初めてのぜんざいを注文。見慣れた赤い「氷」の文字の暖簾が迎えてくれた。丸テーブルにビーチにあるような白い腰掛け、注文した大きな白い氷の山が現れる。表面にシロップのかかったかき氷とは違って、冷たいだけの氷をひたすら食べる。やっと現れたのが、小豆よりも一回り大きな金時豆がゴロゴロ。黒糖の甘い汁をすくい、氷をのせて食べると、ほのかな甘みと豆の柔らかく崩れる食感がたまりません。沖縄のぜんざいは金時豆が主流。戦後、米国からの援助物資に金時豆が豊富にあり、安く手に入りやすかったことが広まるきっかけだったのかもしれません。 「白玉」との出会いもぜんざいを食べる時の小さなワクワク。硬めもあれば、丸い形が崩れるほど柔らかいのもあり、2、3個入っているだけでちょっと嬉しくなります。頬張った瞬間、外の暑さを忘れさせてくれます。

庶民に人気の夏の風物詩

戦後もようやく落ち着きはじめた1960年代、出始めの頃は「冷やしぜんざい」と呼ばれていたようです。今では、普通にどこにでもある氷ですが、そもそも氷はいつから沖縄に?と調べてみると、明治の初め頃、製氷機が登場し、その後沖縄に入ってきたようです。大正時代には氷専門店や沖縄そば屋で金時やかき氷が庶民の間で大人気に。夏の沖縄と氷の出会いに、古くからのぜんざいが加わって、今日の沖縄ぜんざいの誕生に結びついたのでしょう。

氷の山を崩していくと赤茶色の金時豆があらわれる。

猛暑の夏こそ伝統の「あまがし」

沖縄には、ぜんざいによく似た伝統の「あまがし」があります。氷はかかっていませんが、押し麦、緑豆、黒糖が使われ、押し麦を使うところに特徴があります。 現在は黒糖で甘味がありますが、昔は五月五日の端午の節句に麦粥に米麹を入れて発酵させたものへ砂糖を混ぜ、アマガシ(甘粕)といわれ、甘酸っぱいものだったようです。

菖蒲の葉を添えて食べるのは、王府時代から伝わる古い習慣。今でも子供の成長を願い作られています。緑豆には清涼感があり、口の渇きを抑える作用もあるそうです。

沖縄で涼を感じられる甘味、「沖縄ぜんざい」と「あまがし」。早くも関東など梅雨明けと猛暑。今年の日本列島は大変。大切な方の「ちゃーげんき(いつもげんき)」を願って、今月は冷たくしたあまがし作りに挑戦!

沖縄のスーパーに並ぶぜんざいとあまがし 今では「うちなーぜんざい」から「あまがし」とさまざまな種類が家でも手軽に楽しめる。

 

この記事を書いた人

 

 

 

 

 

中地香苗(なかち・かなえ)

ご感想は、kanae@e-no.comまで!

ありのままの沖縄を感じる逸品、e-no shopはこちら

 

チンビンとポーポー
2022.06.27

 

庶民の味に王朝の歴史

 

「チンビン」。なんだと思いますか?沖縄では、おやつとして子供も大人も好きな素朴なお菓子なんです。
チンビンは、小麦粉と黒糖を水で溶き、直径15cm前後の丸い生地を作り、それをクルクル巻いたもの。黒糖を使っているため、見た目が茶色いお菓子です。子どもの頃からよく3時のおやつに食べていました。黒糖のほんのり優しい香りと甘味、初めて食べた方は、その上品さに驚かれます。

もうひとつ、チンビンに似たものがあり、見た目は同じように小麦の薄皮で巻いています。黒糖は使わずに少し甘みのあるアンダンスー(油味噌)を中に入れたもの。その名は「ポーポー」。これまた不思議な響きですが、どちらも中国由来の名前、ちなみに漢字で書くとチンビンは「巻餅/煎餅」ポーポーは「餑餑」(諸説あり)。

茶色いチンビンと、白いポーポーは仲良くセットでスーパーの棚に並んでいます。家庭で作られることも多いです。

チンビン
小麦粉と黒砂糖で作った薄い生地を焼いて巻いたお菓子。ルーツは中国で、昔から家庭で作られるおやつの定番。
地元のスーパーではお惣菜や琉球菓子と並んで販売されている。

昔、子供たちの健やかな成長を祈る沖縄行事、ユッカヌヒー(旧暦5月4日)には、年に1度の玩具市が開かれ、家庭ではチンビンやポーポーを作って神仏にお供えする風習があったそうです。今でもその日に子どものために作っている家庭もあります。

 

王朝菓子だった【白い】チンビン

この身近で手軽なおやつですが、なんと、れっきとした琉球王朝のお菓子だったのです。
スーパーで見かけるチンビンですが、その昔には薩摩藩にも献上されていました。1747年、島津藩主へ献上した菓子四品の一つとして記録が残っているのです。
さらに驚いたのは「白いチンビン」があったということ。大和絵巻が描かれた重箱を使う時は、黒糖ではなく、白砂糖が使われていたと王府時代の菓子帳に記録されていたのです。平安風の図柄には白いチンビンが似合ったのでしょうか?

また、なかには黒糖と白砂糖の両方を使った時期もあり、明治以降は黒糖を使って庶民のお菓子になっていたようです。
王府の外交用にも使われた献上品、琉球が薩摩の支配の元にあった歴史を、市場に並ぶ「チンビン」は今に伝えているのでしょう。
今年の旧暦5月4日は、6月2日(木)。シンプルでほんのり優しい黒糖の甘さをじっくり味わいたいと思います。

参考:安次富順子 著 『琉球菓子』

番外編:楚辺ポーポー
チンビンやポーポーとは違うタイプの「楚辺ポーポー」。沖縄県読谷村楚辺発祥で味噌は入らず、生地はやや厚めでふっくらとして、黒糖風味が特徴。

 

 

この記事を書いた人

 

 

 

 

 

中地香苗(なかち・かなえ)

ご感想は、kanae@e-no.comまで!

ありのままの沖縄を感じる逸品、e-no shopはこちら

2022.05.23

            超カラフルな法事用お菓子

ハスの花をイメージした琉球王朝時代の代表的な琉球菓子の一つ「千寿糕」(せんじゅこう)

「なんでこんなにカラフルなの?」「なんでこんな形なの?」 なんでこんなに… 沖縄生まれの私にとって沖縄の伝統菓子は、見たことはあっても、実は名前も知らないお菓子も多く、食べたことがあるものは少ないんです。確かに、なぜこんなにカラフルなんだろう?

琉球菓子の本で見つけて思わず二度見した「千寿糕」(せんじゅこう)。普段のお菓子ではあまり見かけないショッキングピンクと黄色、緑色。実はこの「千寿糕」、形はハスの花をイメージし、以前は色付けに、緑は季節の「青菜」、黄は「くちなし」。赤は「正延紫」(しょうえんし)(※現在は使用されていません)と呼ばれる、中国南部に自生する樹木に寄生する小さな虫を乾燥させてつくられた色で、江戸時代に中国から渡来した鮮やかな紅色の染料。綿に滲ませて乾燥させてあったそうです。今の私にとっての「当たり前」は人工着色料だったことにハッとしました。

 

三十三回忌は「お祝い」

このカラフルな「千寿糕」、なんと法事用の盛り菓子だったのです。中でも一番の「とんでもない」は、お供えする回忌によって三色の濃さが変わること。一、三回忌は色を控え、七回忌でほんのり色を出し、三十三回忌で華やかな色を施していたようです。三十三回忌は、亡くなった方が先祖たちの元へ「旅立つ」とされ、それまでは法事料理も色のついた食べ物は控えられていたようです。でもこの日は、法事というよりも祝い事として、家族の重ねた想いを「色」に込めたお菓子で伝えていたんだと知り温かみも感じました。真っ直ぐ伝えたい先祖への想い、先祖と家族が寄り添っていた時間が菓子の色に込められているから、三十三回忌は晴れやかにお祝いするのだと腑に落ちた気がしました。

 

沖縄本土復帰前後に、姿を消し「幻のお菓子」と言われた「千寿糕」。10年ほど前に小説『テンペスト』(池上永一)を原作にしたテレビドラマに登場し、一躍知られるようになりました。それでも作られているのは、老舗の菓子店が1店舗のみ。実際に、琉球菓子が豊富に置いてある那覇市の公設市場の菓子屋をたずねると、「ここでは販売していません」と言われました。老舗の菓子店を回っても作っておらず、3店舗目でようやく見つけることができました。

「千寿糕」は、小麦粉でラードを捏ねた皮にピーナツバター、胡麻、橘餅(きっぱん)をまぜた餡を包み、筒状にヒダをつけ、カラフルに色つけされています。大きさはプチケーキサイズで、しっかりした生地のため、店員の方に「4等分が食べやすくてちょうどいいですよ」と教えてもらいました。 固めの生地のどっしり、サクサクした食感と、餡の胡麻の優しい甘さを一緒に味わっていたら、口の中にフワッと広がる柑橘オレンジの香り。カラフルな見た目からは想像できなかった甘みと香りがぎゅっと詰まった爽やかさに出会いました。 超カラフル菓子に込められた沖縄の心。「千寿糕」は、先祖を敬うこと、その想いを自分なりに表現したいと思わせてくれた琉球菓子でした。 これからも、沖縄の伝統菓子を訪ね歩き、昔と今の沖縄の暮らしをじっくり味わってみたいです。

見た目には気づかない、オレンジピールの風味のほろ苦さがクセになりそう。
左上)のまんじゅう 中央上)松風 右)花ぼうる 左下)千寿糕 中央)コーグヮーシー 中央下)金楚糕

この記事を書いた人

中地香苗(なかち・かなえ)

ご感想は、kanae@e-no.comまで!

ありのままの沖縄を感じる逸品、e-no shopはこちら

プライバシーポリシー

© 2022 e-no, Inc. All Rights Reserved.