沖縄こころ旅「垣花樋川(カチヌハナヒージャー)」

トラ猫と蝉がむかえた水辺の夏

「明日は垣花樋川へ行く予定だけど予報は雨。やめようかな」5月上旬から約1ヶ月半も続く雨、それに加えて仕事の失敗も重なり落ち込んでいた。その気分のまま翌朝を迎えたがカーテンを開けると、なんと数日ぶりの晴天。もう行くしかない。那覇から南東へ車で約30分、南城市の垣花樋川に到着。集落の南側にあり、崖の中腹から出ている湧水。樋川(ヒージャー)とは水脈から樋で水を引き、暮らしの水場を造ったものである。

集落から樋川に続く石畳の下り坂がある。ゴツゴツした琉球石灰岩は、何百年も人々が水場へ通ったことがわかるほど表面が削られツルツルしている。昨晩までの雨と苔で、気を抜くと今にも滑りそうだ。傘を杖代わりにして恐る恐る降りていく。

どうしようかなと怯んでいると目の前に、茶色地にこげ茶色の縞模様のあるトラ猫。「今日はここに行くんだよ」と大きな目で誘うかのように目を逸らさない。50センチ程近づくと、猫はゆっくり動いた。それでも目を逸らさずまだ私の方を見つめていた。

(垣花樋川の主とも思えるような佇まいで私を待っていた猫。)

「ビー、ビッ、ビビー」と雨上がりの太陽を待っていたかのように元気なリュウキュウアブラゼミの声。「ザーーーー」と梅雨の雨を蓄えていたかのように勢いよく水が流れる音。パーっと視界が開け、20m先には浅い池と流れ込む水の筋。私を包むようにあちこちから流水の音が聞こえてきた。豊かな水に誘われたアゲハチョウが舞い、クワズイモは大きな葉を湿らせ艶やかに生きている。

(馬浴川(ウマアミシガー)には、小さな魚が群をなし、天然の美しさ、自然の豊かさで心が癒される。)

 

 ジャブジャブと一番大きな音がする左奥へ。龍の口から水が流れ出ている女川(ヰナグガー)、さらに奥を見ると門構えが立派な男川(ヰキガガー)、見下ろすと先程の池、馬浴川(ウマアミシガー)。気のせいか女川の方が男川よりも水の勢いは強い。男川の奥には拝所(うがんじゅ)が見える。水の神様に感謝を伝えながら水をいただいていたのだろう。

本土復帰の頃までは樋川から流れた水が水田を潤していた。男川と女川は男女別の水浴び場、一番下の馬浴川は農耕馬を洗った。男性は一斗缶を担ぎ、女性は水桶を頭に乗せて石畳の坂道を行き来した。導水管が設置されたのは約70年前だという。この水音の中に子供たちの笑い声や女性たちが賑やかにおしゃべりする声が響いていたのだろう。私が行った日は梅雨だったからだろうか。水の音の中には蝉と私だけがいた。

空からの雨は大地の琉球石灰岩で幾層にもゆっくりとろ過され、流れ出てきた水はとても澄んでいる。水温は23度、心地よい冷たさだった。帰りの上り坂は軽やかだった。樋川の水がモヤモヤした気持ちを流してくれたようだ。

お客様担当 井坂 歩 (いさか・あゆみ)