街はガマと大木たちに見守られ
イーノは那覇市牧志のメインストリート、国際通り沿いにある。国際通りは、今でこそお土産屋や飲食店が並び、観光客で賑わっているが、戦前は街のはずれで畑や田が広がっていた。戦後、那覇市の中心地が米軍により没収され、捕虜収容所から故郷に帰ってきた人々は周囲の牧志や壺屋に移り住んだ。闇市からやがて公設市場や飲み屋街、映画館などができ、焼け野原からの復興を遂げたことから「奇跡の1マイル」と言われる。
その国際通りの中央に建つテンブス館の裏に「希望ヶ丘公園」はある。
自転車で国際通りをモノレール牧志駅向けに走る。旧牧志公設市場があった市場本通りの入り口までは下り坂、そこからは上り坂になる。その間にも波うつように上下し、自転車のペダルが徐々に重くなる。この凸凹も昔の田舎道の名残りだろうか。10分ほど走ると、一本の真っピンクの桜が目に入った。沖縄の寒緋桜(かんひざくら)は1月下旬には開花シーズンだ。「わー」と遠慮がちに小さな声が漏れる。駆け寄りたくなる気持ちを抑えて、公園内へ。桜の木があちらこちらに見えて小走りになる。
沖縄の桜はちょっと珍しい。開花は気温の低い北部から、南へと下る。一本の木でも一斉に咲くのではなく少しずつ咲いていく。真っピンクの花びらは、うつむきがちに。恥ずかしがり屋なのかもしれない。シャイなとろこは、うちなーんちゅ(沖縄の人)と一緒だ、と思った。
周りを見渡すと、ガジュマル、デイゴなどの大木。シマオオタニワタリが大木の枝の間に住みついている。大人二人が手を広げてやっと囲めそうなくらい太い。ガジュマルの樹齢は100年以上と言われるが、この丘の上の大木はいつからこの街を見てきたのだろうか。戦前の穏やかな牧志、戦後精一杯生きる人たちの姿、復興後の賑わいの国際通り。
反対側への47段の階段を下りると、斜面を利用したガマの入り口を見つけた。ガマとは琉球石灰岩の自然の洞窟だ。御嶽としての祈りの場から、戦時中は日本軍の陣地壕や住民の避難壕となった。そして、戦後は戦(いくさ)から助けてもらったお礼を伝える祈りの場へ。
ここに立ち寄らせてもらったお礼を伝えたくて手を合わせた。ふーっと息をついた。ゴツゴツした琉球石灰岩が飛び出ている。この島は海とサンゴ礁でできているのだ。帰りに、木々の向こうに18階建てのホテルが目に入った。半袖姿の観光客が行き交う国際通りから、一歩中に入るだけで、沖縄の原風景があった。希望ヶ丘公園は過去と現在を繋いでいた。
この記事を書いた人
井坂歩(いさか・あゆみ)
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