生まれ育った島(伊良部島:補)を離れて60年以上にもなる。けれども何かにつけて、島の言葉がふっと浮かんできたりする。今回はそれらの中から一つを紹介したい。
ナンミー・カーラカス・ニャーン
島には、ナンミー・カーラカス・ニャーン(なめて・乾かす・ように)という言葉がある(注)。私はこの言葉は、部屋を掃除してきれいにした状態(なめて乾かした程に)を指しているのではないかと思っていた。こんな理解は正しいか、友人 Т氏とG氏、さらにMさんに聞いてみた。
ところが三人が言うことには、掃除のことではなく、子育ての仕草を表す言葉ということで一致していた。恥ずかしながら、スマウツに対する私の理解は間違っていた。三 人によると、それは「子供をなめて乾かすくらい、大事に育てる仕草のこと」だという。それでТ氏にどんな時に使うのか、聞いてみた。すると「例えば親たちが子供の背中をスーピキイ(なでながら)、オコイフナリヨウ(大きくなりなさいよ)と言う時がある。そんな仕草のことを「ナンミー・カーラカス・ニャーン」という。「頭をなでながら、大きくなりなさいよ、 という仕草などもそうである。」と教えてくれた。子供をかわいがる仕草はいろいろあるが、それらはなべて、ナンミー・カーラカス・ニャーン といえそうである。
さて、このナンミー・カーラカス・ニャーンという言葉は、だれが何時(いつ)、何を見ていて考えついたのだろうか? だれが?何時?は、分からないが、何を見ていて?は思いつくことがある。子供の頃、数匹の山羊を飼っていたことがある。そんなある日、赤ちゃんが生まれるのを見た。生まれて間もない赤ちゃんは、足下はおぼつかず、よろよろしながらも立ち上がろうと懸命になっていた。母親はそんな赤ちゃんの体中をなめ、体についている膜のような物をふき取っていた。それは乾かしているように見えた。
このことの意味を今年(2022年)山羊の生理に詳しいS氏に聞いてみた。氏によると「母親は鼻に入っている羊水をなめて取り出し、呼吸を始めさせる。鼻に詰まったままでは、呼吸ができないからである。それから体中をなめるのは、自分の子供の匂いを覚えるためとも考えられる」 とのことであった。Т氏によると、母親はその膜のようなものをなめながら、食べているとのことであった。母親はそうやって。自分の体内とは異なる環境でも生きていけるように、手当しているように、私には思える。Mさんによると、犬や猫の親は出産時だけではなく、普段も子供をなめたりする。それは、とても可愛がっているように思えると話してくれた。普段でもなめることによって、日々変化する新しい世界になじんで生きていきなさい、という 母親の行為のように思える。このような動物たちの行為は、人が子供を大事に育てている時の仕草に通じるのではないか。親たちは、腕や背中や頭をなで、これから出会う新しい世界になじんでよ、そこで大きく育ってよ、と言っているように思える。ナンミー・カーラカス・ニャーンという人の言葉は、他の動物たちの仕草に習ったことではないか。
補:サッカーの日本代表堂安律選手のおじいさんの古里でもある。
注:島でも集落によってはナンミー・ハッテハッテという。ハッテハッテは、何度もなめるという意味。
渡久 山章(とくやま・あきら)先生
1943年生まれ、宮古島出身、琉球大学名誉教授。地球化学、環境化学を専門分野に海水の化学など数々の学術や論文で受賞する沖縄の水に関する専門家。
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