水と風の庭園は華流ドラマの世界
各地では秋の訪れとともに、彼岸花が真っ赤に咲き、コオロギの鳴き声も聴こえているのでしょうか。10月2日、那覇市に出かけた。気温は31度、太陽の日差しが燦々と降り注ぐ真夏日。外に出ると汗がジトーと溢れてくる。
久米(くめ)は、那覇市の中心部、沖縄県庁から西へ1kmほどの位置にある。その昔、久茂地川などの3つの川と海に囲まれた浮島で、中国や東南アジアの国々との貿易の拠点だった。そこに、約600年前、明の時代、中国から渡来してきた人々が「久米村(クニンダ)」という集落をつくり定住し今も久米という地名で残っている。その頃、琉球は「レキヲ」と呼ばれ、歴史家は大交易時代と名づけている。琉球王国は現在の中国福建省と結んで栄えたのだ。
久米にある福州園は、那覇から西へ東シナ海を隔てて約800km、中国の南東に位置する福建省福州市から資材を運んできて、中国の人が設計した中国式庭園。朱色の屋根と白い壁に施された装飾が印象的なをくぐり左手に進むと、赤色の回廊が続く。透かし彫りの窓は、形姿が一つ一つ違う。まるで華流ドラマの中に入り込んだようだ。
回廊を抜け、沖縄との繋がりも感じる龍柱や今も福州に残る白塔と烏塔を小さくした高さ12mほどの2つの石塔を眺めながら歩いていると長さ4mほどの橋が現れる。万寿橋(まんじゅきょう)だ。万寿橋の上で立ち止まると、が見える。万寿橋とは琉球から福州への進貢などの荷物を陸に上げていた場所。桃花渓(とうかけい)は琉球と福州との交易で航河した福建省最大の河川、を表現している。豊かな水と水際まで伸びた青々とした植物は心を落ち着かせる。琉球からの使節団は緊張感のある航海を終え、このような景色を見て穏やかなひと時を過ごしていたのだろう。
見慣れた白い一輪の花。沖縄ではアカバナー(赤い花)と呼ばれ親しまれている。原産は中国南部とも言われている。もしかすると、福州との交易が盛んだった頃、鉄製品や竹製品、胡椒、お茶などと一緒に沖縄にやってきたのかもしれない。
流れ続けるザーという水音が徐々に大きくなるのを聴きながら歩く。目の前に高さ10mほどあるだろうか。石灰岩を積んだ山が現れた。岩の間から勢いよく垂直に落ちる水は航河中であれば恐ろしくもあっただろう。訪れたこともない福州の自然の豊かさを感じる。
1時間ほど、大交易時代の中国の世界を楽しんだ。大門をくぐり出ると、車が行き交ういつもの那覇の街だった。いつもと違う空間が、僅かに吹く秋風を感じさせてくれた。
この記事を書いた人
井坂歩(いさか・あゆみ)
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