国際大国・中国は、なぜ、小国・琉球を優遇したのか?

一四〇四年、足利義満は日・明(中国)間の勘合貿易を開設します。だが、琉球は、それより三二年も先立つこと一三七二年、中国との朝貢貿易を実行しています。

 

大国・中国が、小国・琉球に対して行った特恵措置は、次の通りです。(一)鎖国を実施していた中国への入港を許可。(二)琉球が朝貢する数倍もの見返り品である、絹織物、鉄製品、薬品等の珍品、奇品を下賜。(三)琉球国にのみ、北京での商いを許可。(四)琉球国のみ、毎年七名の特待留学生を中国の経費で七年間、国立大学・国子監へ受け入れる。(五)皇帝主催の宴に、招待される。しかも、上座に席を設ける。(六)当時、世界最大の木造船、二百名乗りの大型ジャンクを毎年支給する。

 

これらの待遇は、他の日本、朝鮮には適用しないものもありました。なぜ、琉球のような小さな国に、中国はとくべつの扱いをしたのか?中国は、五千分の一の面積しかない琉球の国土に関しては、ほとんど魅力を感じてはいませんでした。

(中国との窓口を務めた久米三六姓・村跡)

 

支配地を見張るための明国の役人を常駐させていないことでも明らかです。また、琉球の国王の人選にも、干渉していませんでした。琉球が献納する生産物に関しても、それほどの関心は示していませんでした。

 

特別待遇の最大の理由として、硫黄の安定確保を琉球国に求めています。中国大陸は、火山がないために、硫黄はとれません。南中国で温泉が出る程度です。中国の古い産業事典「天工開物」には、「炭・硝石・硫黄」を原料とした火薬の作り方が記録されています。

 

しかも、硫黄は「琉球硫黄」として書かれています。中国の世界的発明品である火薬には琉球・硫黄鳥島の硫黄が必需品として使われていました。

 

おそらく、中国の漂流者が硫黄鳥島に上陸し、硫黄を持ち帰り火薬の材料として使われるようになったものと考えられます。硫黄は、最初は長寿の薬、また胃薬として用いられたとあります。火薬は中国皇帝の独占となり、中国支配の最新の武器として使用されます。

(中国留学生出身の一人。三司官・蔡温)

 

武器だけではなく、大河の河川工事や、道路の整備などにも広く活用されるようになり、ヨーロッパに渡ると、現代のダイナマイトのルーツとなっていきました。

 

毎年、琉球は中国の要求通り、約七トンの硫黄を献納しています。琉球史には硫黄が届けられたことは書かれていますが、何の目的で献納されたかは書かれていませんでした。

 

中国は、琉球硫黄の確保のために琉球王国を必要としていたのです。

 

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亀島靖(かめしま・やすし)さん
1943年生まれ、那覇市出身、早稲田大学卒業。
歴史小説、歴史劇シナリオなど著作多数。
テレビやラジオのプロデューサーでも活躍。

 

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