女流歌人の哀しみと激しさ
那覇空港から車で約10分、モノレール旭橋駅に直結したバスの中央ターミナルと県立図書館、OPAが集積する新しいビルが建つ。この傍らに、かつて海岸だったことを示すように琉球石灰岩の巨大な塊が立っている。「仲島の大岩(なかしまのウフシィ)」と呼ばれる県の天然記念物だ。高さ約6m、周囲約25m。道ゆく人は多いが、立ち止まって眺める人は少ない。この岩の周りだけは時が止まっているかのようだ。
岩の前の説明板には、仲島の遊郭があり、17世紀中頃、女流歌人として有名な「吉屋(ゆしや)チルー」もこの遊郭で18年という短くはかない生涯を終えた、と書いてある。歌とは、琉歌(りゅうか)のことだ。
恨む比謝橋や 情けない人の 吾渡さと思て 架けて置きやら
(うらむひじゃばしや なさきねぇんひとぅぬ わんわたさとぅむてぃ かきてぃうちゃら)
(恨めしいこの比謝橋は、私を遊廓に売り渡す為に非情な人が架けておいたのだろうか)
橋を渡って売られていくわずか8歳の吉屋チルーが詠んだ琉歌だ。琉球王国時代、田舎の貧しい娘たちは那覇の遊郭へ売られていったのだ。この比謝橋は、沖縄本島のちょうど真ん中あたりの嘉手納町と読谷村の境を流れる比謝川にかかっている。
昨年の暮れ、この日は気温12度。冬一番の寒さ。周囲に気を配りながらようやく二車線の鉄橋、比謝橋を見つけた。車が左右途切れなくブンブン走る。周囲には飲食店や住宅が並んでいる。車を停め、歩いてみる。
寒さが身に染みる。橋の長さは35.4m。橋からは比謝川が見える。上流は水源になっているくらい沖縄にしては大きな川だ。穏やかな流れに見えるが、昔は大雨の度に氾濫していたそうだ。今でこそなんでもない橋だけど幼い吉屋チルーはここを渡ったのだろうか。川の向こう側には深い森とマングローブが見える。もしこの時季に渡ったのなら、寒さや風の冷たさが余計に寂しさや不安をつのらせただろう。
(比謝橋から眺めた比謝川とマングローブ。吉屋チルーが眺めた景色と重なる。)
恩納松下に 禁止の碑たちゅす 恋しのぶまでの 禁止や無いさめ
(うんなまちしちゃに ちぢぬふえたちゅす くいしぬぶまでぃん ちぢやねさみ)
18世紀の女流歌人、恩納(うんな)ナビーのよく知られる琉歌。
男女の恋を邪魔するような野暮な王府の立て札を堂々と皮肉をこめて詠ったという。チルーとは対照的だ。
恩納松下の歌碑。この琉球松の下に、当時は立て札が建てられていたという。
吉屋チルーと恩納ナビー。なぜこれほど、心のままに琉歌にあらわすことができたのだろうか。二人はその境遇や日々の出来事を受け入れるだけではなく、精一杯に自分の意思を言葉にした。二人の志を託した琉歌は、仲島の大岩のように、現代の私にも大きく響き、届いたように思う。
この記事を書いた人
井坂歩(いさか・あゆみ)
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